コヨーテの音楽 Soundtrack for Coyote 005【Nicked Drake-Wraiths】

コヨーテの音楽 Soundtrack for Coyote 005【Nicked Drake-Wraiths】
松浦紀子
005【Nicked Drake-Wraiths】


ようやく9月だ。まだ暑い日もあるけれど、日が暮れてきた頃に通り抜ける風は、秋の気配をまとっている。街も、落ち着きを取り戻している。
この2ヶ月ほど、仕事で訪れる都心のオフィスビルの近辺は、人で溢れかえっていた。夏休みとはいえ、猛暑のさなか、いったいどこからこれだけの人が集まってくるのだろうか、と不思議だった。混雑した中で、お店に並び、せわしなく食事をし、すぐに次の場所へと向かう……。

その場所に流れる時間、というものがある。
東京には車があふれ、地下鉄は正確な時刻にホームに滑り込む。交差点では、すごい早さで人々が行き交い、その隙間を自転車がすり抜ける。
誰もが時間に追われている。いや、実際には、時間に追われるなんていうことはないのだ。でも、そんな気持ちにさせられる。それが、東京の時間なのだ。

でも。この世界には、まったく別の時間が流れる場所もあるのだ。
すいぶん前に、私はそのことを、写真家・星野道夫さんから教えられた。彼は、こんなようなことを語っていたと思う。

「わたしたちが日々の暮らしに追われて生きているこの瞬間に、
もうひとつの別な時間が、ゆったりと流れている。
そのことを心の片隅に意識できるかどうかは、とても大事なことだ」

星野さんが愛したアラスカ。
森の中では、リスがかさこそと小さな音をたてて歩き回り、ミソサザイが枝から枝へと飛び、フクロウがひっそりと息を潜めているだろう。ムースやカリブーの群れは何をしているのだろうか。クマの親子は、のんびり昼寝でもしているかもしれない。

今、私たちがせわしなく過ごしているこの瞬間に、地球のどこかで、そんな悠久の時が、ゆったり流れているのだ。そのことをそっと想像してみると、心の中がじんわり暖かくなり、満たされてくる。
大丈夫。
彼らの豊かな時間は、あの場所で、ゆったりと流れている。今いるここだけが、世界のすべてではないのだ。

今日は私も、ゆっくり、時間が過ぎてゆくのを楽しもう。
こんな日には、Gareth Dicksonの歌声が似合う。私はラップトップを閉じて、オーディオのスイッチを入れる。


旅のサウンドトラック005
amazon 『Nicked Drake-Wraiths』Gareth Dickson


松浦紀子 Matsuura Kiko
ラジオ番組ディレクター・選曲家。良い音楽と、美味しいお酒と、ひとんちの猫をこよなく愛する日々。世田谷在住、ときどき鎌倉。週末は、J-WAVE「atelier nova」やってます。