星野道夫の暮らし

星野道夫の暮らし

写真/星野道夫
text by Coyote


悠久の極北です。

 僕はアラスカのそれぞれの季節が好きだ。もちろん冬もである。マイナス五十度まで下がる寒い季節だが、冬は、この土地が一番アラスカらしい顔をするときなのだ。
アラスカの一年は、きっと冬を中心に動いていると思う。半年もの長く暗い冬とのかかわりでほかの季節を感じてゆく。
それを別のことばでいえば、人の暮らしを含めたアラスカの自然は、大陽とのかかわりで動いてゆくということだ。この土地ほど大陽の存在を感じ、その位置を見つめながら暮らしてゆく人々はいないだろう。
暗黒の冬、その季節でさえ人々は大陽を見つめている。この土地で冬を越すつらさは、決してその寒さではない。あまりにも短い日照時間だ。その中で、十二月の冬至は人々の気持ちの分岐点になる。冬至を過ぎれば日照時間が少しずつ伸びてくるのだ。本当の寒さはこれからなのに、人々は一日一日春をたぐり寄せる実感を持つ。
そして春の到来は、まさに大陽を再び獲得したということなのだ。ぐんぐん伸びてゆく日照時間は、やがて白夜の季節へとつながってゆく。
大陽が沈まず、一日中頭の上をぐるぐる回っているという感覚は、やはりことばでは説明できない不思議な体験だ。地平線に沈むかと思う夕日が、そのまま朝日となって昇ってしまう。長い間山の中でキャンプをしていると、日付の感覚を失ってしまう。日記を毎日つけていないと、今日が何日かのか分からなくなってしまう。悠久に流れてゆくような夏の白夜の時間の感覚が、僕は好きだ。そして二十四時間の太陽エネルギーは、生命の営みを急いで仕上げなければならない短い極北の夏の自然を支えている。

秋、アラスカの大地は息を呑む色彩に覆われてゆく。アスペンの葉は黄色く色づきはじめ、ツンドラはワイン色の絨毯が敷き詰められたよう。この時期、久しぶりに晴れ上がったある夜、約三カ月ぶりに星を見るという体験をする。五月からずっと夜がなかったのだ。そして大陽が再び地平線に沈みはじめたのである。夜も星もたまらなく懐かしい。
オーロラの不思議な光が夜空に舞いはじめるのもこのころである。“オーロラは真冬”という感覚があるが、実際は八月の終わりごろから見えはじめる。紅葉とオーロラが同時に見られる、僕は一年のうちで最も好きな時期である。そしてこのオーロラもまた、日の光とは別の、大陽からのメッセージなのである。
秋が終われば、大陽は日増しにその描く孤を小さくし、一日はだんだんと夜が支配してくる。遠くへ行ってしまう大陽を見送りながら、人々はきっぱりと冬を迎えるのだ。
アラスカに暮らしていると、人も自然も、大陽にただ生かされているということをストレートに教えられる。暗黒の冬、大陽が沈まぬ白夜の夏、そしてつかの間の春と秋、自然の営みは大陽の動きとともにドラマチックに進行し、ある緊張感を持っている。人々の暮らしも、動き続ける自然を見つめずには成り立たない。
アラスカの自然は、結局、人間もその大きな秩序の中に帰ってゆくという、当たり前のことを語りかけてくる。アラスカ体験というものがあるならば、きっとそういうことなのだろう。
(「THE GOLD 」 星野道夫 1991年5月より)