001【North Marine Drive】
もうずいぶん前の話。
あるアーティストのヨーロッパDJツアーに同行する、という仕事で、1週間ほどあちこちを旅した。
ドイツの小さな街から始まり、北欧をまわりイギリスへ。毎日毎日、移動の旅。クラブDJツアーだから、仕事は夜中まで。仮眠をとってまた次の場所へ、というハードな旅。でも、それなりに刺激的な毎日だった。
そんなツアーも終盤にさしかかった頃。
その日のヴェニューは、ブライトンのクラブだった。夏のリゾート地として知られる、南海岸の海沿いの街、ブライトン。でも、ロンドンから車で向かった私たちを迎えてくれたその街は、人も少なく、静かで、ちょっといなたい雰囲気すら漂わせていた。夏の喧噪はどこかへ過ぎ去ったあとの、シーズン・オフのブライトン。
ホテルにチェックインして、そこからはみんなそれぞれ、夜まで自由に過ごした。アーティストたちはすぐさま街のレコードショップに向かい、掘り出し物を探す。仮眠をとるスタッフもいた。
私は、ひとりで散歩に出かけた。
どのくらいの大きさの街なのかはよくわからないけれど、気の向くままにのんびり歩いた。海の方向に向かってみようか。せっかくブライトンに来たのだから。
しばらく歩くと海が見えてきた。海に突き出した桟橋の上には、小さな遊園地。観覧車やメリーゴーランド、ジェットコースターもある。夏の間は、子供たちの歓声が響き渡り、アイスクリームスタンドやフィッシュ・アンド・チップスの屋台には、行列ができていたのだろう。
ウッドデッキを歩く。海風が冷たい。ブライトンの海は、ちょっとよそよそしく、でも、私がしばらくそこにいることを許してくれているようだった。私は、海を眺めながら、ベン・ワットの大好きなアルバムのことを考えていた。ちょっと心もとない彼の声で歌われる「north marine drive」という曲が、季節外れのブライトンの海にとても似合う気がした。
今でもこのアルバムを聴くと、あの日のブライトンのことを思い出す。
それは、とても静かで、すこし寂しい記憶。
旅のサウンドトラック001
amazon 『North Marine Drive』Ben Watt
松浦紀子 Matsuura Kiko
ラジオ番組ディレクター・選曲家。良い音楽と、美味しいお酒と、ひとんちの猫をこよなく愛する日々。世田谷在住、ときどき鎌倉。週末は、J-WAVE「atelier nova」やってます。