絵:黒田征太郎
1939年生まれ。69年長友啓典と共同でK2を設立。イラストレーターとしてポスターや挿し絵で数々の賞を受賞するとともに、壁画制作、ライブペインティングなど幅広いアーティスト活動を展開。www.k-3.co.jp
文:新井敏記
1954年生まれ。85年「スイッチ」創刊、04年「コヨーテ」創刊。著書『人、旅に出る』(講談社)、『モンタナ急行の乗客』(新潮社)。近著として、『SWITCH STORIES 彼らがいた場所』(新潮文庫)、『鏡の荒野』『夏の水先案内人』(スイッチ・パブリッシング)
Essay vol.03
オレンジ色の月は今日はどこに出ている
岐阜県串原村に住む友人の桝本進さんから句集『オレンジ色の月』が送られてきた。句の作者は進さんの御母にあたる桝本華子さん。ポケットサイズ版のこの句集は進さんが自費出版したもので、華子さんが今まで作った3000句の中から52句が選ばれている。
進さんは「ゴーバル」というハム工房を主宰する一人で、自身ハム職人でもある。ゴーバルはネパール語で牛糞の意味。ネパールでは土間の床や壁を牛糞で作るし、燃料にもなる。「大地に根ざし、大地に立って、大地を慈しんでともに生きてゆきたい」と進さんは大地への思いをハムやソーセージの製造に現していく。
標高600メートルの山の中でハム作りが始まったのは1980年のこと。化学調味料や発色剤などは一切使用せず熟成に時間をかけて丹念に作られていく。このハムの美味しさに魅かれ工房を訪れたことがある。進さんに会いに行くのが目的なのだ。夜遅く進さんのログハウスで過ごす時間がいい。家族が寝静まると、彼がコーヒーを煎れてくれる。生のコーヒー豆を煎ることからはじまるこの上のないぜいたくな時間。
とってのついた陶器に豆を入れて火にかける。軽く静かに器を振りながらゆっくりと立ち上るコーヒーの香りが鼻をくすぐる。かすかに煙が立ち上りいぶされた香りが漂ってくる。黒光りする豆をミルで挽く。カリカリと乾いた音がいい。沸騰した湯をネルドリップでゆっくりと豆を通す。透明な漆黒の輝き。一口飲むと甘さが広がっていく。この静かな夜に包まれる時間が進さんの物語とも思えてくる。彼の旅の話を聞くのが好きだ。たとえばネパール、彼は旅先の出来事を水彩絵具でスケッチにしたためる。視線の先には人々の営みが記録されていく。さらさらとその思いの先はセンチメンタルで優しい。
そのコーヒーの味を思い出しながら句集を開く。1921年(大正10年)、東京生まれの華子さんが、茨城県新治郡での開拓農場に従事した後、山形県の飯能山麓の小国地方の叶水という豪雪地帯にある独立学園の音楽教師として赴任したのは、1951年のことだった。長く音楽教師にあった彼女が句を始めたのは50歳を過ぎてからだという。日記の端はしに万年筆で綴られた、山麓で生きる厳しさと四季おりおりの美しい光景は、いずれの句も華子さんのみずみずしい感性によって詠われている。その句にも進さんのスケッチが彩りを添える。
コスモスの花に口づけ熊ん蜂
例えばこの句には「真っ黒なえんび服を着たひげづらな熊ん蜂の朝のあいさつ」と寄せられている。危ない熊ん蜂をあえてひげずらと擬人化をする。彼女の憧憬の広がり、その心象はまぶしくも写った。
教へ子の肩に柩を雪解風
夫・忠雄さんに捧げたこの句を華子さんは「夫は65歳で召されていった。柩は夫の希望通り村の教え子にかつがれて。3月の風だ」と記す。「召され」という表現は熱心なクリスチャンである彼女の3月の風と止める想いの潔さと意思の強さを見る。桝本忠雄さんは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のモデルといわれた斎藤宗次郎の隣家に育ち、深い影響を受けたという。また忠雄さんの御母うめ子さんは内村鑑三の弟子で、内村の教えを実践する基督教独立学園に従事してもいた。華子さんはある講演で、「忠雄が亡くなったときよりも今の方が忠雄を好きだ」と語っている。句はやわらかい情に包まれて優しい。
華子さんの住む山形に進さんが行くときに連れてってくださいと、コーヒーのおかわりをねだるついでにお願いした。それはたぶん愛の讃歌でもあるような旅になるだろう。その旅を記録したいと思った。
2011年4月25日